2011年9月28日水曜日

基肄城探索!!

秋分の日快晴に恵まれ基肄城を目指しました。 
連休初日で快晴。 筑紫・鳥栖道路は大渋滞、基肄城に行く場合でも休日はこの道は敬遠したほうが良さそうです。 2時間かけて基山山頂にある草スキー場につきました。 前回は曇りの天気だったのですが、本日はすこぶる快晴で大勢の草スキーで賑わっていました。
当日のルートはスキー場の右脇を通り、「いもガンギ」を通り天地天皇の碑から史跡巡りコースを反時計回りで水門近くまで下降、そこからは全て登りとなります。 山頂からこの史跡巡りをする場合、「反時計回り」で回る方が楽であると私は感じました。 史跡巡りでぐるりと一周すると2時間弱の道のりです。高低差は200メータ程度あります。四王寺山よりも高低差はあります。
 四王寺山のように土塁巡りを行なうつもりでしたが土塁がすべてつながっているわけでは無く、「史跡巡りルート」なる整備された山道が今回のルートです。

【草スキー場駐車場・スキー場】
草スキー場
駐車場は山頂の草スキー場の手前にあります。2~30台程度楽に駐車できます。 奥之院からここまでは道が狭くなっているので徐行でお願いします。 
トイレはこの駐車場にあります。自販機は有りませんが草スキーのシーズンはスキーレンタルとともにお茶も販売しています。
このスキー場は天然芝なので自前のスキーやスノーボードは利用できません。 草スキーとなっていますが、実際は木製のソリでレンタルしています。




【いもガンギ・天地天皇の碑】
天地天皇の碑
スキー場の右脇の道を登って行くと「いもガンギ」の裏に着きます。 この「いもガンギ」の奥には「天地天皇」の碑が立っています。 この「基肄城」「大野城」「水城」の巨大な構造物は朝鮮半島で起こった「白村江の戦い」に敗れ、日本の防衛拠点として「天地天皇」の命をうけ建造されました。
この基肄城の麓にも水城のような城壁跡が見つかっています。
天地天皇の碑の先にコンクリート製の展望台があります。 ここから見る佐賀平野の展望は素晴らしい。 有明海から上陸してくる敵兵の状態がてにとるように見渡せます。

古代の山城は現在の「自衛隊」「○○駐屯地」と同じ用な軍事施設でした。 戦国時代に見られる天守閣があるような殿様の住居ではありません。兵士の待機、武器庫、食料庫の跡が多くみられます。 大野城駐屯地、水城駐屯地、基肄城駐屯地と考えた方がわかりやすいでしょう。

佐賀平野の展望
水城・大野城は博多湾から、基肄城は有明海から上陸してくる敵を防ぐために建造されたと言われています。

史跡巡りルートは「いもガンギ」手前から下山する形で儲けられています









より大きな地図で 基肄城(史跡巡り) を表示


四王寺山(大野城)のように土塁をぐるりと一周することは出来ません。 (緑色のラインは地形を元に作成しました。実際の土塁との確認ができていません。ご了承下さい)


米倉跡
 いもガンギから史跡巡りルートに入ると一気に標高230メーターまで下ります。 舗装路に出会うまで「史跡」らしいものは見当たりません。 この舗装路から山頂まで登りが続きます。 5分ぐらい登った場所に「米倉跡」が出現します。高床式の食料倉庫だと思われます。
鐘撞堂跡
 さらに5分程度登ると「鐘撞堂跡」。 さらに登ってつつみ跡が現れ「東北門」へと出ます。
つつみ跡~東北門は「土塁」伝いに歩くルートになります。

東北門跡
東北門からまた「史跡巡りルート」の看板を頼りに南西に向かいました。ここからは緩やかな登りとなり、途中に「礎石群」をみる事が出来ます。 しばらく歩くと山頂に出て、基肄城跡の展望台に着きます。 



 駐車場からいもガンギ→史跡巡りルートでぐるりと一周出来ます。 大体1時間30分程度。 山頂は広く景色が素晴らしいです。

 四王寺山、水城、基肄城は白村江の戦いから作られました。 「白村江の戦い」後 天地天皇は日本全国に山城を築きました。 熊本や対馬(長崎)、山口、岡山、香川などにもこれらの史跡が存在します。 

 私たちの住んでいるすぐ近くにこれだけの巨大な建造物がつくられていた事に驚きを隠せません。





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