2011年9月21日水曜日

意外とでかい「基肄城」!

台風15号が停滞中の敬老の日の午後、朝から天気が悪くて「山登り」は端から諦めムードだったのですが、かねてから気になっていた「基肄城」を目指し、基山へと車を走らせました。 
 
より大きな地図で 基肄城城壁(予想図) を表示


鳥栖基山道路は無料になってからは初めての通行になります。 本来は印通寺の出口で降りるべきなのですが2つ手前で降りて道に迷うはめに・・。 
仕方が無いので3号線にある「ラーメンセンター」で硬麺をすすりながら道を確認し、県道300号に出ました。瀧光徳寺奥之院までは道幅が広く快適ですが奥之院をすぎるとそこからは山道になります。 ここから駐車場のある草スキー場までは5分程度で行く事が出来ます。

草スキー場についた途端雨が降り出しこの日はここまで・・。
ネットで調べたところこの基肄城は四王寺山の大野城の約半分の大きさの土塁城壁が発見されました。
土塁の総延長は4300メーター。 築城は大野城と同じ665年で百済から亡命してきた「おくらいふくる」と「しひふくふ」が指揮をとったと言われています。

復元図
水城・大野城・基肄城は 「白村江の戦い」に敗れた日本朝廷と百済の連合軍が帰国して急遽つくり上げた防衛設備でした。

水城の復元図を例にとると 高さ9メーター、幅77メーターの土塁、幅60メーター、深さ4メーターにわたる外堀を1.2キロに渡って築き上げました。とてつもない構造物です。それらを2年程度で作りあげた当時の土木技術は目を見張るものがあります。
復興財源がどうのこうのといって何も着手出来ない今の政治家はもっと見習うべきだと私は思いますが・・・。


次回天気のよい日に「基肄城」探索をしてみたいと思っています。









0 件のコメント:

コメントを投稿